信じることは、疑うことから

私たちは、
「信じる」ことを美徳として教えられてきました。。
人を信じる、未来を信じる、社会を信じる。

【信じる】という言葉


なぜか心を他者に預ける感覚になります。
自分の責任を
信じた相手に授けてしまうような感覚。

疑うことは、
その反対であり、
裏切りや不信と結びつけられてきました。
でも本当にそうなのかを考えてみました。

疑うことは必ずしも否定ではなく、
むしろ信じるための入り口かもしれません。


信じたいから検証することだけのこと。

それを【疑う】という言葉に結びつけると
なぜか裏切っているような印象になるのは不思議です。

疑うとは
「なぜそうなのか」と立ち止まること


その先に確かめられる根拠や実感があってこそ、
信じるという行為は強固なものになります。

疑わない信頼は脆く、
風に吹かれれば簡単に崩れます。

でも疑いをくぐり抜けた信頼は揺らぎません。
だから「疑う」と「信じる」は対立ではなく、
ひとつの循環を成す行為なはずです。

信じたいから疑う。
信じるとは盲信することではなく
自分で考えて手に取るもの。

信じるという責任を自分に置く時、
必ず疑うことから始まるのかもしれません。

あなたへの問い

あなたがいま信じているものは、
疑って考えて、手に取りましたか?

鳥

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